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罪の報いもお蔭をいただく

 私事昭和廿六年五月五人目の子供を妊娠、老親をかかえての貧しい生活を苦慮いたし中絶用の薬品を二度服しましたが、生命力強く翌年二月末に三男栄治を出産、然し心身弱く日夜に悩まされつつも自分が蒔いた罪の報いと思いひたすら子供の成長を神仏に祈りおりました。 十才の春、四国巡礼の方より海岸寺に連れ行き母子共々にお大師さまにおすがりせよと教えられ、海岸寺に参詣なにとぞ元気な体を智慧を授け給えと一心にお祈り申し […]

お大師さまが現れた

昭和六年四月吉日、高松市今新町谷本スガ他同行四人打ち連れ四国巡拝の途に出で、同月二十一日当海岸寺屏風浦に詣で無縁の佛の供養をなし一心に礼拝中、突然谷本スガの眼前に白雲立ち込み忽ちにして大師の御尊像現し、驚きて同行の袖を引き其の霊験あらたかなるを拝し奉りたる事、日一日として忘れ難く、之を紀念すべく当時の情況を謹写し奉納いたしたり。  (奥之院大師堂奉納額より)

霊夢により足が立つ

 福岡県筑紫郡堅粕村大字比恵百五十番地、神藤タネ(明治六年生まれ)は、廿四歳で初めて男子を出産しましたその月より手足が急に不自由になりました為、医者、もみりょうじ、その他の手をつくして治療にあたりましたが、その効なく、しかも家が貧しく、自力で四国八十八ヶ所を巡拝することが出来ずに困っていましたところ、その姉でサキという者が同村の要福市の妻となり、夫婦の中に子供が二人もありましたのに、家財を売り払い […]

眼の霊験

 私はずいぶんと長い間、眼を患い、ご霊験をうけし前は、ほとんど失明の状態でございました。 このままでは、夫の世話どころか、自分のことすらままなりません。 私は自分のこの身の有様を憂えて悶々として日々を送っていました。そんな時です。私は故郷からの便りをききました。きいたといいますのは、その手紙を夫によんでもらったのです。かいつまんで申しますと、私の眼のことを知った故郷の父母が、ご霊験あらたかな海岸寺 […]

タタリ返し

 花代のこの病は、どうもタタリではないかと思われます。 それは、兄嫁の里方が貧しくて毎日の暮らしにも困っている有さまでしたので、それをみかねた私は、皆に内密で米・麦・豆のようなものを仕送りしていたのですがそれを知った花代が、母に告げ口をしたのです。母はそのことを兄に話しました。それがもとで兄嫁は離縁になってしまったのです。 兄嫁は花代さへなくば離縁されなかったものをと、花代を恨みまして、ある神さま […]

白飯を頂く

 私は大病にて医者にも見放された者です。 今、私はこのやるかたなき身を、お大師さまの道でありますお四国に、預って頂いておりますが、この苦労も後わずかです。今の私には前途に希望がみえるのです。 といいますのは、無事お四国巡拝廿一度の大願を成就しました私の体は、ありがたき仏さまのご利生によりまして、次第に快方に向かっておるのです。全快も真近であると実感しております。 私のお四国巡拝は、七度目より一言も […]

カンの虫

 私の娘はヨシノと申しまして、本年十五歳になりますが、生まれつきカンが強く、五歳の時、それがもとで精神病になってしまいました。 その時以来、諸々の医者・薬・灸やと、できうる限りの手を尽くしましたが、もはやお大師さまにおすがりする外ないと、決心致しまして、お四国巡拝に出ました。 そして大正二年の四月に、この屏風浦に参詣致したのです。ここの奥の院さまにて、お籠りさして頂くこと、廿一日、その間毎日千度礼 […]

お礼に奥の院奉公

 福岡県京都郡椿市村、奥野鉄之助は日清戦争の時、志願して下士官となり、蒸気船の艇長になりました。朝鮮警備隊林全権公使に従って諸方偵察中のこと、元山にて左手がしびれた上、寒気におかされた為に血液不順となり、右手と両足の自由がきかず、佐世保海軍病院に一年六ヶ月入院していましたが、遂には不治の病気となりまして、免官されてしまいました。 その後も福岡病院・豊後温泉・俵山温泉等、八ヵ月以上療養につとめました […]

夢の中で僧がお告げを

 香川県那賀郡買田村大字買田、高井数十五歳は、明治二十七年の頃に大阪天満の米売店方へ奉公致しておりましたところ、同三十年五月に足の病にかかり歩行が困難となりました。大阪の病院で三ヵ月程治療を受けましたが、いっこうによくなりません。年の暮れに故郷へ送り返されまして困っていたのを見かねた琴平町や善通寺村の有志の方々の慈善を受け、この箱車を新調してその年旧二月二十日、当山屏風ヶ浦海岸寺奥の院で、四方の皆 […]

足立の霊験

 讃岐国屏風ヶ浦海岸寺は、弘法大師の御出化初因縁の霊跡でございまして参詣、又参詣する人々が誠に多く、不思議の御利益を頂く人が数多くありました。 ここに、ありがたき、御利生を頂きましたのは、讃岐国大川郡引田村、森川市造という人で、四歳の時、盲人となりまして十一歳の時より三味線の稽古をし、廿四歳の時、九州福岡の演劇場に雇われ七日目に火災にあい、目が不自由のこととて周章狼狽いたしまして遂に火中で両足をや […]

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