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弘法大師出生について補足情報

室町時代の特異性  日本の歴史をたどってみますと、室町時代の頃が大きな転機になっていることに気付きます。天皇や貴族が天下の政治を担っていた時代から、その雇われの身であるはずの武士が武力でもって統治する時代、下剋上の時代へと移り変わります。  このことは、日本の社会のあり方を根本的に変えてしまった点で重要な意味を持っています。それまで母系制社会であった日本が家父長制へと実質的な転換をなし、女性の社会 […]

弘法大師の産土神「熊手八幡宮」

熊手八幡宮のこと  海岸寺から東へ700mほどの処に、弘法大師の産土神社として知られる熊手八幡宮があります。  その昔、大師の母、玉依御前のお屋敷がこの近くにあって、大師を身ごもられた時、安産を祈願してご参拝になったとされています。  産土(うぶすな)神とは、私たちが生まれた土地を司っている鎮守の神のことで、大師がここ白方の地にお生まれになったことから、熊手八幡宮を産土神社と崇められました。  江 […]

嵯峨御所教令書(弘法大師出生に対する御文書)

「嵯峨御所教令書」現代語訳  文化13(1816)年 讃州多度郡(香川県仲多度郡)北鴨(多度津町北鴨)明王院(道隆寺)末寺海岸寺は往古、 高祖弘法大師母公の別館の旧跡であり、ご産所あるいはご初誕の霊跡と称して来たことについて、もっとも往古より別段異論など無き処、近頃に至り海岸寺の勧進帳の縁起にご降誕之霊跡としたため、建石などして、船問屋の切出し(道案内チラシ)にも掲載し流布したことについては、同国 […]

弘法大師ご誕生の霊跡

 日本人であれば誰もが少なからずその恩恵に浴している、高祖弘法大師空海。IQ200以上はありそうなその天賦の才と、時の権力者から庶民に至るまで敬い慕われ続けるお人柄。  仏教史に燦然と輝くその名声ゆえに、歴史のほんの一行を飾るにすぎない些末な問題が、江戸時代の後期、善通寺誕生院と海岸寺の間で争われました。弘法大師の真のご誕生所はどこかという本家争いは当時の人々の耳目を騒がせ、大論争へと発展したので […]

弘法大師出生にまつわる海岸寺資料集成

弘法大師空海さまの出生と海岸寺の関係に関する資料をあげさせていただきます。以下の文献から引用しました。引用させていただいた文献の内容は、必ずしも「正しい」とは言えませんが、引用させていただいた事実に対し、各著者の方々には御礼を申し上げます。 「空海」 八尋舜右  成美堂出版  1984年  空海の誕生したとされる屏風ヶ浦は、この讃岐国の西寄り、多度郡弘田郷――現在の仲多度郡多度津町と善通寺市の一帯 […]

弘法大師誕生地についての資料集成

弘法大師ご誕生の霊跡 弘法大師ご誕生の霊跡 弘法大師ご誕生地について 弘法大師出生にまつわる海岸寺についての記述 嵯峨御所教令書 嵯峨御所教令書(弘法大師出生に対する御文書) 弘法大師産土神 弘法大師産土神「熊手八幡宮」について 弘法大師出生についての補足情報 弘法大師出生についての補足情報 産屋の事と婚姻史 産屋のことと婚姻史 屏風浦物語 屏風浦物語 横尾時蔭(よこおときかげ)の話 海岸寺和讃 […]

海岸寺絵葉書

海岸寺絵葉書(昭和初期) 解説 1.(左上) 大日本真言根本霊場 大師堂再建中 2.(右上) 日東初縁場       本坊全景 3.(左下)               本堂 4.(右下) 御胞衣塚(右)  熊手八幡宮(左)

屏風浦物語

横尾時蔭(よこおときかげ) (文責;高橋厚温 引用:まんだら教報 第28号 昭和43年6月15日発行) 海岸寺より熊手八幡宮に行く県道の北側の田の中に、一本の松がある。その下に六尺ほどの古い石塔。これは、時公塚とよび、稀代の雅楽の達人、横尾時蔭をほうむっているものである。 時蔭は、摂津国天王寺に住んでいた人で、父は大和介といって、代々、雅楽をもって官についていたのですが、わけがあって嘉元(鎌倉末期 […]

身代り肌守り

 丸亀十二聯隊、小川大尉の部下分隊長芥数雄(丸亀市塩屋町、二十八才)は日支事変、昨年九月七日・八日・九日の罷店鎮の戦に際し敵の砲弾三四尺前に落ち、為に倒れたり。しかるに夢の醒めたる如に起き上がりて見れば、我が分隊に人影はなく、ただ森戸君(仲多度郡七ヶ所村出身)と二人のみ無事なりしは不思議に絶えず。調べてみれば懐中にありし海岸寺の肌守りは真二つに割れてあり。此の御守りが身代りになってくれたのであろう […]

お籠り一ヶ月で歩けるように

私事は去る昭和三年拾参歳の初夏より不図脊髄病に罹り高松の赤十字病院に入院致しましたが、軽症で有りました為め二ケ月餘りにして退院する事が出来ました所が、其の秋家事の手伝いをしたのが原因で再発し起る事も出来無い重病と成りました。此度は全快の見込み覚束なく此の上は神仏におすがりするより他に致し方なしと悟りましたので、自動車と人の背を借りて漸く此の奥の院へ辿り付き、お籠りをさせて頂く事と成りました。其して […]

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