白飯を頂く

白飯を頂く

 私は大病にて医者にも見放された者です。
 今、私はこのやるかたなき身を、お大師さまの道でありますお四国に、預って頂いておりますが、この苦労も後わずかです。今の私には前途に希望がみえるのです。
 といいますのは、無事お四国巡拝廿一度の大願を成就しました私の体は、ありがたき仏さまのご利生によりまして、次第に快方に向かっておるのです。全快も真近であると実感しております。
 私のお四国巡拝は、七度目より一言も口をきかぬ無言行で、三度の水行、さらに一日一食にて拝礼することを常としていました。
 そんなある日のこと―――といいましても充分なお金を持って出たわけではありませんから、お接待にもれては宿を得られず、一日二食にも事かく有様でした。こんな日はさして珍しくもなかったのです。
 その日も、やはり接待にもれまして、伊予の三角寺より下山中、もう陽が暮れ空腹のまま夜を明かすことになりました。
 その翌朝のことです。あたりには人の気配もありませんのに、なぜか、飯器にでえきたての白飯を盛ったお接待があるのです。私は不思議に思いながらも、その飯をありがたく頂きました。
 それがほとんど食べ終わった所で、またもや不思議がおこったのです。またいつの間にか、その飯器が一杯になっているではありませんか。
 私は、つくづくご霊験の不思議を味わせて頂きました。この不思議の飯器につきましては、その後夢にて“屏風浦の海岸寺に納めよ”と告げられましたので、ここに奉納に参った次第であります。
 この持参された飯器は、海岸寺住職がかつて亡失した古物であったのです。
南無大師遍照金剛
 明治十七年六月五日
 山口県吉敷郡深浦
 中川利吉 (三十三才)

霊験譚カテゴリの最新記事