霊夢により足が立つ

霊夢により足が立つ

 福岡県筑紫郡堅粕村大字比恵百五十番地、神藤タネ(明治六年生まれ)は、廿四歳で初めて男子を出産しましたその月より手足が急に不自由になりました為、医者、もみりょうじ、その他の手をつくして治療にあたりましたが、その効なく、しかも家が貧しく、自力で四国八十八ヶ所を巡拝することが出来ずに困っていましたところ、その姉でサキという者が同村の要福市の妻となり、夫婦の中に子供が二人もありましたのに、家財を売り払い、箱車を作り、残るお金を旅費とし、夫婦と二人の子供を連れ、手足が不自由になったタネを箱車に乗せてひき、巡拝に出発しました。
 予州八幡浜に渡り伊予一円を巡拝し、三津ヶ浜まで来て旅費を使いはたし五人とも食事も出来なくなりましたので、三人で協議の末に、夫福市は五歳の子供を連れ故郷にかえることになり、姉は夫に別れ子とはなれ、一歳になる男児は背い、箱車をひき、途中で箱車が破損して一歩も進むことが出来なくなり、困っています時に、おりよく行きあわせた四国巡拝のお遍路にも援護をお願いし、平地は姉が子と足の不自由なタネの二人を背負いなどし、又かろうじて峻嶮をもこえ十里の道を進み、ついに本年旧二月の中旬頃、当県三豊郡豊浜町大字和田浜に来ることが出来ましたのは、お大師さまの加護と言うほかありません。
その時、豊浜村の有志者は、これを憐れに思いまして、同情し、同村の南村和次郎、合田長平、新田米造、石村栄助、同村鍛治屋、横門安太郎、横山幸次郎、大字大野原村三軒屋、藤田常吉、熊谷宗太郎、藤田善兵衛等が発起世話役となり箱車を新しく作り、又幾分かの旅費も与え、白方屏風浦海岸寺奥の院が、弘法大師の霊験あらたかで、これまでに幾人となく、難病患者が御加護を頂いていることを教え、世話人達のすすめで屏風浦海岸寺に来まして、参籠いたしましたのは旧三月四日でございました。
 其日より昼夜怠ることなく信心の道をつとめ、姉は奥の院の裏山四国八十八ヶ所を昼夜二度づつ巡拝し、或る時はお百度まいりを踏み、人々が感心いたしますほど信心いたしましたので、そのご利益があったのでしょう。旧四月十八日の夜、夢の中で一人の僧があらわれまして
 「汝の病気は必ず全快することまちがいなし」
と告げました。
 霊夢より覚めた時、七年の間身体が自由にならなかった妹タネは箱車から出て杖にすがりながら、大師堂宝の石垣の所まで歩いて行くことが出来ましたことはお大師さまの御利益のお蔭と、満足と悦びの心にひたりました。
 これを見ていた他の数人の参籠者もいっそう信心につとめたとのことです。
 明治三十六年

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