私事昭和廿六年五月五人目の子供を妊娠、老親をかかえての貧しい生活を苦慮いたし中絶用の薬品を二度服しましたが、生命力強く翌年二月末に三男栄治を出産、然し心身弱く日夜に悩まされつつも自分が蒔いた罪の報いと思いひたすら子供の成長を神仏に祈りおりました。
十才の春、四国巡礼の方より海岸寺に連れ行き母子共々にお大師さまにおすがりせよと教えられ、海岸寺に参詣なにとぞ元気な体を智慧を授け給えと一心にお祈り申しました処、帰宅後目に見えて元気になり讀み書きさえも覚えてくれるようになりました。
これもひとえにお大師さまの広大なお慈悲のお陰と家内一同御恩を喜び、お大師さまをお祭り致し信心致しておりました処、
今度は二女浦子が十五才の夏交通事故にあい、三島市加地病院にて右手首より切断せねばならぬと言い渡され、一同悲しみにくれておりました。
其の夜お大師さまが夢に現れ切断せずになおしてやるとのお告げを被り、翌日院長さまも驚かれます程に快くなりており、切断せぬまま全快致しました。
本当にありがたいことでございます。
此のありがたさを私一人の胸に納めておくにしのびず、ここに多くの方にお知らせ致し同じ苦しみ方々にお大師さまにお参りなされることをおすすめ申すと共に、若き日の過ちをお聞き戴きせめてもの罪ほろぼしと致し度く存ずる次第です。
昭和四十四年五月十六日
愛媛県宇摩郡土井町
江口トミエ 五十才
浦子
栄治 十七才