海岸寺について

海岸寺について

海岸寺を開山された弘法大師/空海さま

四国八十八ヵ所霊場を開き真言密教を日本に持ち帰ったことでも有名な真言宗の開祖、弘法大師=空海師。

その空海師が唐から帰還してまもなく母の家のあった生まれ故郷のこの地へ立ち寄った大同二年、日本初真言密教をつかった病気封じの法を修し(屏風浦)海岸寺を開山したといわれています。

日本最古の漢字辞書「篆隷万象名義」を記し、全国に1600ヵ所を超える温泉地を発掘、満濃池で日本初の円型ダムを設計創設、日本最初の私学「種智院」を開校、その他にも詩文創作や書道に至るまで世界でも類をみない人物として多くの人を今もお導きくださっています。

縁起

そもそも当山は弘法大師出化初因縁(しゅっけしょいんねん)の霊跡にして、この地を屏風ヶ浦(びょうぶがうら)と称し、寺を経納山(きょうのうざん)迦毘羅衛院(かびらえいん)海岸寺と号す…

年表

宝亀5 774.6.15 弘法大師ご誕生。当海岸寺奥之院の湯手掛の松あたりに産屋が建立されたと伝えられる。
大同2 807 唐より帰朝後(34歳)、海岸寺本堂を建立して正観音乃至弥勒菩薩を本尊として安置。
弘仁6 816 42歳の厄除のため自刻像を刻み、一宇を建立して安置(奥之院の開創)。

寺宝

海岸寺和讃

帰命頂禮遍照尊
南閻浮提の陽谷
仮名乞児の故郷は
玉藻帰るてふ讃岐潟
櫲樟日を蔽すの浦里に
その名にし負う海岸寺
大師法華の経文を

霊験譚

丸亀十二聯隊、小川大尉の部下分隊長芥数雄(丸亀市塩屋町、二十八才)は日支事変、昨年九月七日・八日・九日の罷店鎮の戦に際し敵の砲弾三四尺前に落ち、為に倒れたり。しかるに夢の醒めたる如に起き上がりて見れば、我が分隊に人影はなく、ただ森戸君(仲多度郡七ヶ所村出身)と二人のみ無事なりしは不思議に絶えず。調べてみれば懐中にありし海岸寺の肌守りは真二つに割れてあり。此の御守りが身代りになってくれたのであろう、ありがたいと感謝。
 その後、交代休養で帰郷中、昭和十三年九月廿四日夜、再召集に接し、翌日、海岸寺へ再度、お守り様を受けに来詣。その折、この事実をあかされたるなり。
 時に、昭和十三年九月二十五日

海岸寺資料集成

日本人であれば誰もが少なからずその恩恵に浴している、高祖弘法大師空海。IQ200以上はありそうなその天賦の才と、時の権力者から庶民に至るまで敬い慕われ続けるお人柄。

仏教史に燦然と輝くその名声ゆえに、歴史のほんの一行を飾るにすぎない些末な問題が、江戸時代の後期、善通寺誕生院と海岸寺の間で争われました。弘法大師の真のご誕生所はどこかという本家争いは当時の人々の耳目を騒がせ、大論争へと発展したのです。

しかし、事を穏便に済ませようとする時の権力者たちの意向に添い、問題の核心には触れられないまま「和解」させられたのでした。

あれから二百年を経て情報化社会のこの時代、豊富な資料をたずさえて今ようやく問題の核心に迫ろうとしています。真実は自ら明らかになろうと望むがゆえに。

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