嵯峨御所教令書(弘法大師出生に対する御文書)
「嵯峨御所教令書」現代語訳 文化13(1816)年 讃州多度郡(香川県仲多度郡)北鴨(多度津町北鴨)明王院(道隆寺)末寺海岸寺は往古、 高祖弘法大師母公の別館の旧跡であり、ご産所あるいはご初誕の霊跡と称して来たことについて、もっとも往古より別段異論など無き処、近頃に至り海岸寺の勧進帳の縁起にご降誕之霊跡としたため、建石などして、船問屋の切出し(道案内チラシ)にも掲載し流布したことについては、同国 […]
「嵯峨御所教令書」現代語訳 文化13(1816)年 讃州多度郡(香川県仲多度郡)北鴨(多度津町北鴨)明王院(道隆寺)末寺海岸寺は往古、 高祖弘法大師母公の別館の旧跡であり、ご産所あるいはご初誕の霊跡と称して来たことについて、もっとも往古より別段異論など無き処、近頃に至り海岸寺の勧進帳の縁起にご降誕之霊跡としたため、建石などして、船問屋の切出し(道案内チラシ)にも掲載し流布したことについては、同国 […]
日本人であれば誰もが少なからずその恩恵に浴している、高祖弘法大師空海。IQ200以上はありそうなその天賦の才と、時の権力者から庶民に至るまで敬い慕われ続けるお人柄。 仏教史に燦然と輝くその名声ゆえに、歴史のほんの一行を飾るにすぎない些末な問題が、江戸時代の後期、善通寺誕生院と海岸寺の間で争われました。弘法大師の真のご誕生所はどこかという本家争いは当時の人々の耳目を騒がせ、大論争へと発展したので […]
弘法大師空海さまの出生と海岸寺の関係に関する資料をあげさせていただきます。以下の文献から引用しました。引用させていただいた文献の内容は、必ずしも「正しい」とは言えませんが、引用させていただいた事実に対し、各著者の方々には御礼を申し上げます。 「空海」 八尋舜右 成美堂出版 1984年 空海の誕生したとされる屏風ヶ浦は、この讃岐国の西寄り、多度郡弘田郷――現在の仲多度郡多度津町と善通寺市の一帯 […]
弘法大師ご誕生の霊跡 弘法大師ご誕生の霊跡 弘法大師ご誕生地について 弘法大師出生にまつわる海岸寺についての記述 嵯峨御所教令書 嵯峨御所教令書(弘法大師出生に対する御文書) 弘法大師産土神 弘法大師産土神「熊手八幡宮」について 弘法大師出生についての補足情報 弘法大師出生についての補足情報 産屋の事と婚姻史 産屋のことと婚姻史 屏風浦物語 屏風浦物語 横尾時蔭(よこおときかげ)の話 海岸寺和讃 […]
海岸寺絵葉書(昭和初期) 解説 1.(左上) 大日本真言根本霊場 大師堂再建中 2.(右上) 日東初縁場 本坊全景 3.(左下) 本堂 4.(右下) 御胞衣塚(右) 熊手八幡宮(左)
横尾時蔭(よこおときかげ) (文責;高橋厚温 引用:まんだら教報 第28号 昭和43年6月15日発行) 海岸寺より熊手八幡宮に行く県道の北側の田の中に、一本の松がある。その下に六尺ほどの古い石塔。これは、時公塚とよび、稀代の雅楽の達人、横尾時蔭をほうむっているものである。 時蔭は、摂津国天王寺に住んでいた人で、父は大和介といって、代々、雅楽をもって官についていたのですが、わけがあって嘉元(鎌倉末期 […]
丸亀十二聯隊、小川大尉の部下分隊長芥数雄(丸亀市塩屋町、二十八才)は日支事変、昨年九月七日・八日・九日の罷店鎮の戦に際し敵の砲弾三四尺前に落ち、為に倒れたり。しかるに夢の醒めたる如に起き上がりて見れば、我が分隊に人影はなく、ただ森戸君(仲多度郡七ヶ所村出身)と二人のみ無事なりしは不思議に絶えず。調べてみれば懐中にありし海岸寺の肌守りは真二つに割れてあり。此の御守りが身代りになってくれたのであろう […]
私事は去る昭和三年拾参歳の初夏より不図脊髄病に罹り高松の赤十字病院に入院致しましたが、軽症で有りました為め二ケ月餘りにして退院する事が出来ました所が、其の秋家事の手伝いをしたのが原因で再発し起る事も出来無い重病と成りました。此度は全快の見込み覚束なく此の上は神仏におすがりするより他に致し方なしと悟りましたので、自動車と人の背を借りて漸く此の奥の院へ辿り付き、お籠りをさせて頂く事と成りました。其して […]
私事昭和廿六年五月五人目の子供を妊娠、老親をかかえての貧しい生活を苦慮いたし中絶用の薬品を二度服しましたが、生命力強く翌年二月末に三男栄治を出産、然し心身弱く日夜に悩まされつつも自分が蒔いた罪の報いと思いひたすら子供の成長を神仏に祈りおりました。 十才の春、四国巡礼の方より海岸寺に連れ行き母子共々にお大師さまにおすがりせよと教えられ、海岸寺に参詣なにとぞ元気な体を智慧を授け給えと一心にお祈り申し […]
昭和六年四月吉日、高松市今新町谷本スガ他同行四人打ち連れ四国巡拝の途に出で、同月二十一日当海岸寺屏風浦に詣で無縁の佛の供養をなし一心に礼拝中、突然谷本スガの眼前に白雲立ち込み忽ちにして大師の御尊像現し、驚きて同行の袖を引き其の霊験あらたかなるを拝し奉りたる事、日一日として忘れ難く、之を紀念すべく当時の情況を謹写し奉納いたしたり。 (奥之院大師堂奉納額より)