讃岐国屏風ヶ浦海岸寺は、弘法大師の御出化初因縁の霊跡でございまして参詣、又参詣する人々が誠に多く、不思議の御利益を頂く人が数多くありました。
ここに、ありがたき、御利生を頂きましたのは、讃岐国大川郡引田村、森川市造という人で、四歳の時、盲人となりまして十一歳の時より三味線の稽古をし、廿四歳の時、九州福岡の演劇場に雇われ七日目に火災にあい、目が不自由のこととて周章狼狽いたしまして遂に火中で両足をやけど致し足が立たなくなってしまいました。
それより八年の間、苦心しながら、所々を巡礼して明治十五年五月十日の夜、箱車で当寺へ参詣され、一心に参籠して信心いたしましたところ、はからずも、ありがたく御利益を頂くことになりました。
その夜、夢に僧とおぼしき御方があらわれまして、一本の杖を給はり、
「この杖に頼って、歩行しなさい」
とのおつげに、ありがたやと思い、また、
「本復の後はこの杖を持主へ必ずかえしなさい」
と聞かされると同時に夢はさめました。不思議に思いつつも、この杖にすがって立ってみますと、両足とも自由に歩むことが出来まして誠にありがたき霊験を頂き感涙にむせびました。時は明治十五年五月十一日、寅の上刻でありました。
翌日、傍人にその杖の持主をたづねようと思い見せましたところ、名東村田宮村百九十四番地、阿部氏 モ、裏に明治十五年一月吉日としるしてありましたので、田宮村村長殿あてにたづねました所、戸長より該家へ聞き合わせてくれ、杖の由来を報答してくれました。
それによりますと、阿部氏は本年正月廿日に、四国の霊場第十七番妙照寺へ、参詣の時に置忘れたものを、いづれの人かが携へて行ったものを授かったのでしょう。
そういうわけですから、夢告げの通り、そのありがたい杖を持っておかえしに行きますと、阿部氏は、当寺へ参詣の為に出発したあとで行違いになり会はれず、又持帰りたづねましたが行くえがわからず、思案にくれています時、夢ともなく、琴平におられるを感じて、早速、琴平へたづねて行き、面談して杖をおかえししますと、誠にもったいない霊験の杖ですから、屏風浦海岸寺へ奉納しましょうと又持ちかえりまして、箱車と共に当寺の奥の院へ奉納いたしました。
霊験を受けし者、讃岐国大川郡引田村、森川市造、三十二歳
霊杖を寄附した者、徳島県名東郡田宮村、阿部茂三郎
額を奉納した者、徳島県佐古町、大住作平
霊験記を書いた者、徳島県佐古町、柴田七五三
明治十五年十月吉日
右の噂が世間に広がりますとその霊杖を、拝見しようと、参詣する者が誠におびただしく、その後、又霊験を頂いた方々を記しますと
山城国淀の木下友吉
作州津山の七十あまりの老女
いずれも不自由な足が立ちました。
三河国会生町、日高忠造の伜(せがれ)又吉は衆医にみはなされた盲目の者でありましたが、御利益を頂きまして眼があいたということです。
その他この霊杖によって霊験を受けた人は数多くありました。