海岸寺について

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夢の中で僧がお告げを

 香川県那賀郡買田村大字買田、高井数十五歳は、明治二十七年の頃に大阪天満の米売店方へ奉公致しておりましたところ、同三十年五月に足の病にかかり歩行が困難となりました。大阪の病院で三ヵ月程治療を受けましたが、いっこうによくなりません。年の暮れに故郷へ送り返されまして困っていたのを見かねた琴平町や善通寺村の有志の方々の慈善を受け、この箱車を新調してその年旧二月二十日、当山屏風ヶ浦海岸寺奥の院で、四方の皆 […]

足立の霊験

 讃岐国屏風ヶ浦海岸寺は、弘法大師の御出化初因縁の霊跡でございまして参詣、又参詣する人々が誠に多く、不思議の御利益を頂く人が数多くありました。 ここに、ありがたき、御利生を頂きましたのは、讃岐国大川郡引田村、森川市造という人で、四歳の時、盲人となりまして十一歳の時より三味線の稽古をし、廿四歳の時、九州福岡の演劇場に雇われ七日目に火災にあい、目が不自由のこととて周章狼狽いたしまして遂に火中で両足をや […]

海岸寺霊験譚

信仰とは何なのでしょう? 信心とはどうあるべきものなのでしょうか? また、どのような人々が四国遍路の“死出の旅路”へ出て行ったのでしょうか。一昔前の信仰者の姿を通して、遍路とは一体何なのかを考え、あるいは旅の途中で行き倒れ、無念にも散っていった人々の思いを、思いめぐらせてみるのも我々にとって大変益のあることです。観光を兼ねた遍路行もそれなりによいものですが、本来の遍路のあり方というものを忘れてしま […]

海岸寺寺宝

寺宝一部紹介(1) 月三兎図 頼山陽の書 森諦圓の書 布薩本尊図 月照上人辞世の句 護摩札 甲山寺出開張本尊 松尾芭蕉肖像  門人野坡筆 理源大師聖宝 諸御役目録 弘法大師ご請来 貝葉経 醍醐派初代管長 和氣宥雄書 佐伯直田公 出山釈迦像 天保14年の納経帳 不動明王伝弘法大師御筆 狩場明神 玉依御前 前神寺蔵王権現 弘法大師(刺繍) 大隈三井子お手製 菩提樹下の釈迦  辨榮聖人御作 沼名前神社の […]

海岸寺年表

海 岸 寺 年 表 年号 西暦年月日  出来事 宝亀5 774.6.15 弘法大師ご誕生。奥之院の湯手掛の松あたりに産屋が建立されたと伝えられる。 大同2 807 唐より帰朝後(34歳)、弥勒菩薩像を刻み、海岸寺本堂を建立して安置。 弘仁6 816 42歳の厄除のため自刻像を刻み、一宇を建立して安置(奥之院の開創)。 貞観6 864.1015 境内の賀富良津神社に従五位下を授けられる。「授讃岐国正 […]

海岸寺縁起

海岸寺の略縁起         ※現代語訳  そもそも当山は弘法大師出化初因縁(しゅっけしょいんねん)の霊跡にして、この地を屏風ヶ浦(びょうぶがうら)と称し、寺を経納山(きょうのうざん)迦毘羅衛院(かびらえいん)海岸寺と号す。  つらつらその所以(ゆえん)を案ずるに、銀沙(ぎんしゃ)平坦(へいたん)にして茂林(もりん)緑を凝(こら)し、北は渺々(びょうびょう)として海水瑠璃(るり)の如く、布帆(ふ […]

海岸寺について

海岸寺を開山された弘法大師/空海さま 四国八十八ヵ所霊場を開き真言密教を日本に持ち帰ったことでも有名な真言宗の開祖、弘法大師=空海師。 その空海師が唐から帰還してまもなく母の家のあった生まれ故郷のこの地へ立ち寄った大同二年、日本初真言密教をつかった病気封じの法を修し(屏風浦)海岸寺を開山したといわれています。 日本最古の漢字辞書「篆隷万象名義」を記し、全国に1600ヵ所を超える温泉地を発掘、満濃池 […]

写真館

弘法大師産井 弘法大師誕生湯手掛の松 大師堂 ローソク立て 鐘楼堂 不動明王堂(金毘羅不動護摩場)) でこぼこ13仏 当所鎮守:椿弁財天 かびらつ神社跡 海岸寺本堂外陣 海岸寺本堂 手水場 香炉 海岸寺境内を示す石碑 宝物館 屏風浦会館 大王松 ミニ四国108ヵ所参り 弘法大師出化初因縁の霊跡 奥の院大師堂からの眺め 奥の院鐘楼 経納山、二重の塔 弘法大師母君安産祈願の子安観音 四国別格二十霊場お […]

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