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7ヶ所参りについて

 

七ヶ所参り

七ヶ所参り
 
             
七ヶ所まいりのご案内

多度津とこの周辺では、春と秋のお彼岸の中日に、七ヶ所参りをする風習がありました。ご年配の方々なら、幼い頃、祖父母や村の人たちに連れられて、弁当持参で七ヶ所参りをした経験を、なつかしく思い出される方も多いのではないでしょうか。

こうした地元の風習を現代にも伝え残して行きたい、と地元の有志の方々の発願により、平成18年、海岸寺から出発する七ヶ所参りが復興されました。

最近では口コミとインターネットを通じて、遠方の方のご参加も次第に増えており、一度参加された方の再三再四のご参加も安定してきております。

四国の他県でも同じような風習があるそうですが、殊にこの多度津、三豊、善通寺周辺は弘法大師のふるさとでもあり、ご幼少期にゆかりのある土地柄ですので、見どころも豊富ですし、また格別の味わいがあります。

近年流行の健康ウォーキングとも相俟って、昔ながらの風習を現代の人にも、楽しんで伝えてゆこうという趣旨の行事ですので、ご自身の信仰されている宗旨に関わらずご参加いただけますことも魅力のひとつでしょう。

もちろん昔ながらの遍路道をたどって行きますので、山道あり、田んぼの畦道ありで辺路(へんろ/へじ)の風情を味わえます。春秋の気候のよい時節ですので、緑の山々に青い空、秋には黄金色の稲穂など、目の保養と同時に自然を満喫し、心の洗濯ができます。

約20キロの道のりを約10時間かけて歩くことのなかに、私たちが普段の生活で忘れてしまいがちな、自然とともに生きているという感覚を取り戻すことができます。人は自然から遠ざかるほど病気に近づく、と医聖ヒポクラテスは言いました。

どうぞご関心のある方はお問い合わせください。主催は、七ヶ所まいり実行委員会です。連絡先は、海岸寺まで(0877−33−3333)。

春  4月17日
秋  11月23日



         
七ヶ所参りの風習について

いつ頃始まった風習なのか、それは定かではありません。ただ、四国八十八ヶ所に準じた行事ですので、ほぼ同じ時期に始まったのではないかと推測されます。

愛媛県松山市指定の有形民俗文化財に、江戸期の板製の納め札があります。それには、「奉納七ヶ所遍路同行二人」と墨書され、左右に明暦三年(1657)とあります。(実物をご覧になりたい方は、文化財課089−948−6603まで)

1657年といえば、江戸幕府の成立から50年ほどのことですので、最も初期になります。おそらく、庶民の生活も安定し始め、一生に一度は善光寺参り、とか蟻の熊野詣で、金毘羅さんやお四国、西国巡拝がさかんになってきたのでしょう。

そうはいっても誰でも彼でもと言うわけにはいきませんので、村を代表して何人かが旅立ち、残りの人々はお四国の写し霊場や七ヶ所参りを村の行事として行っていたものと思われます。

この辺りでは、「しちかしょまいり」と呼び習わしていますが、地方によっては「ななとこまいり」と呼ぶ処もあるようです。八ヶ所を参る場合は「やあとこまいり」といいます。津軽、小田原、千葉の佐原、長岡や四国各地と、かなり広く分布しているようです。

また、春秋のお彼岸ばかりでなく、正月元旦や七日、あるいは庚申の夜であったりします。お参りするのもお寺ばかりではなく、七宮参り、寅年の七薬師参り(横浜)、七地蔵や道祖神という場合もあり、処によってさまざまです。


         八ヶ所参りのこと

明治31年発行の「金刀比羅宮参詣精密案内記」という小冊子に「八箇所霊場巡拝の事」と題した一文があります。以下、読み安いように現代用字に改め掲載します。

そもそもこの八ヶ所霊場巡拝の起源を尋ぬるに、天竺にては昔、釈迦如来ご説法なし玉ひし道場浄飯王宮生所塔。菩提樹下成佛塔。鹿野園中法輪塔。給孤独園妙勝塔。曲女城辺宝階塔。耆闍窟山般若塔。庵羅衛林惟广塔。沙羅林中円寂塔。等の八箇霊場あり。この霊跡を彼の土の人民巡拝して佛恩の深きを報謝し、その利益を蒙らぬものなし。かくの如き浅からぬ因縁のある霊地の土砂なるがゆえ、般若三蔵法師ご所持なし居玉ひしを弘法大師ご入唐の時、御請ひ玉ひ御帰朝の後、その土砂を八十八の数に延べ、之を四国霊場八十八箇所へ散布し、普く天下の衆生をして遠き天竺の釈迦如来のご説法なし玉ひし霊跡を踏み巡拝するにかわらしめ玉ふ。尚またその四国八十八箇の霊場を巡拝するには道路長く、険阻の箇所沢山ありて老弱病者もしくは家業繁多の身は宿志を果たす事むつかしき故、八十八の数を縮めもとの天竺霊場八ヶ所の数となし、近傍の地においてこの八ヶ所を巡礼すれば、容易に四国八十八ヶ所を巡礼したるの功徳にかなひ、天竺八ヶの霊地を遍礼したるの報謝を遂げしめ玉はんとの大師の深きご誓願より起こりしものなりしを、その大御心を知らずしていつの頃よりしてか世俗七箇所巡りと云ひ来りしは大いなる誤りなりと云ふべし。即ちその八箇所霊場とは善通寺。甲山寺。曼荼羅寺。出釈迦寺。弥谷寺。金倉寺。道隆寺。海岸寺等なり。故に謹んで之れより参拝遍礼すべきものなり。

このなかで天竺の八ヶ霊場について、釈尊のご遺跡であるブッダガヤ、鹿野苑など八大遺跡を挙げています。これはアショカ王が巡拝されたといわれる釈尊のご遺跡です。

しかし本来、天竺八塔というのは八大遺跡とは別のことです。釈尊がお亡くなりになられたとき火葬されましたが、ご遺骨を貰い受けたいと諸国の王が兵を引き連れてクシナガラを訪れました。

争いから今にも戦争が始まろうとした時、バラモン僧のドローナが間に入って、遺骨を八分してそれぞれ持ち帰るよう提案しました。そこで八分されたご遺骨はそれぞれの国に祀られ、塔が建てられたのです。これが天竺の八塔と呼ばれるものです。

江戸時代に記された「多度郡屏風浦善通寺之記」には、

當寺伽藍には、天竺釈迦如来の遺跡八塔の土を敷て御建立なり。此土の事は、大師、大同元年大唐醴泉寺にして、天竺の般若三蔵に逢ひ給ふ時、三蔵告て曰。我え天竺より八塔の土を携へ来れり。是を伽藍建立のところに敷て、末の世の人に結縁せしめんと思ふ。本国へ持帰り給はは、利益広大なるへしと語り給ふ。大師、その土を乞請て日本に帰、善通寺の境内に敷せ給ふ。四国八十八ヶ所といふも此八塔の数を十倍し、元の数を加へ、八十八ヶ所の霊場として、遍礼結縁の輩に、八十八使の煩悩、生死の苦しみを済ひ給ふ御誓なり。四国霊場は、當寺八塔の土より始まれる事は、旧記ならびに霊場記にも粗見へたり。

とあります。記によりますと、天竺八塔の土こそ八十八ヶ所霊場の由来であるとしています。よく88という数の由来を尋ねられることがあります。史実であるかどうかは分かりませんが、信仰上は天竺八塔がその数の由来であると答えることができます。

信仰というのは、歴史的事実と芸術的虚構の間にあるものです。史実ではないからといって、すべて切り捨ててしまったのでは信仰の美しさや繊細さが失われてしまいます。

話が前後しますが、7ヶ所であれ8ヶ所であれ、近隣の寺院をお参りすることが四国の風習となっています。ところによっては、5ヶ所参りということもあるようです。天竺八塔にちなんだお四国の巡拝は現代にあってもなお、人々の求道心を魅了する風習のようです。

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