屏風浦海岸寺の公式ホームページ◇別格霊場第十八番|四国不動第三十一番|

 

境内

 

境内図

境内図
 
 

境内の案内

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賀富良津神社址 (かぶらつじんじゃあと)

 本坊裏手の松林(現在はない)に、一の宮、二の宮、三の宮と呼ばれる石の小祠がありました(元禄5年の縁起には、東の宮、中の宮、西の宮と呼ばれています)。現在は、一つにまとめて「加富良津神社」として祀ってあります。

 明治30年の登記記録を見ますと、「多度郡白方村大字西白方字迦毘羅津」とあります。仲郡と多度郡がまだ別々であったころです。

 平安期に編まれた『三代実録』という正史の貞観六年冬十月十五日の条に、正六位上の賀富良津神に従五位下を授ける、という記事があります。このことから、往古はこの神社が格式のある大社であったことが知られます。

 また、東寺文書抄の天喜四年讃岐國善通寺所司等の解申中に、五社明神の記事があります。弘法大師が、多度郡内にあった五つの大社を善通寺の伽藍鎮守神として祀ったもので、そのうちの一つが「蕪(かぶら)津明神」です。現在でも、大楠の下に二つの小祠に分けて祀られています。

 「蕪津」と「賀富良津」では、あてられている字が異なっていますが、同じ神社を指していると考えられます。カブラツ、とはちょっと聞きなれない名称ですが、これは海岸寺のすぐ東を流れる弘田川の河口の形状から名付けられました。

 実際に目にしてみれば分かりますが、河口部が半円状に広がっていて、まるで鏑矢(かぶらや)の先端のようです。鏑矢とは、木の枝や竹、動物の角などを蕪の形に作り、中をくりぬいていくつかの穴を開け、矢の先のほうにつけたものです。二股に分かれた先端とセットで用いられ、矢を発した時に笛のような音が出ます。

 蕪の形、もしくは二股の形が弘田川の河口に似ているところから、カブラの津(港)と名付けられたようです。この地方では、三野津、宇多津、多度津など「津」の付く地名が多くあります。

 ちなみに、海岸寺の「迦毘羅衛院(かびらえいん)」という院号は、仏教の開祖であるお釈迦さまのふるさと「カピラバストゥ」が、弘法大師のふるさと「カブラツ」とよく似ているところから名付けられたものです。なかなかシャレた名称です。

参考:仲多度郡史、古記録写し(当寺蔵)


御産盥山古墳 (みたらいやまこふん)

 昭和五十年四月十八日、当山奥之院のおたらい山で土砂採取の工事中、箱式石棺が発掘されました。標高約50mの尾根上にあり、ほぼ南北の線に沿って置かれ、全長内法は1.7mでした。

 先住厚温師が立会いのもとに、町文化財保護委員、教育委員会職員、その他関係者により二日間、調査が行なわれました。発掘されたのは、石棺のほか全長38センチの鉄剣、高杯土器の破片、および人骨(頭骨、大腿骨)でした。現在は盛り土し、原状に復しています。

 古墳へ行くには、おたらい山不動坊の脇を通って、ミニ百八ヶ所の道沿いに登り、左へ曲がると前方後円墳の前方部に出ます。全長48mで、くびれた部分を通り過ぎますと、衛門三郎と弘法大師が邂逅(かいこう=めぐりあうこと)した場面の石像が見えてきます。そのそばに町指定文化財、御産盥山古墳の標識が立てられています。

 5世紀前半ですから、今から1600年ほど前の豪族の墓ということになります。おたらい山をお参りされる方は、いくら遠い昔のこととはいえ、墓域に立ち入っていることを念頭に置きながら、心静かにお参りされてください。


経納山古墳 (きょうのうざんこふん)

 現在、二重塔が建っている場所に、直径18mの円墳があります。建礎工事で岩盤に達するまで掘り下げていたところ、勾玉数個が発掘されたということです。

 おたらい山から経納山へ下っていく道筋に、3つの古墳があります。この他にも、おたらい山から続く経尾山、黒藤山にかけて十数ヶ所の古墳が確認されています。前方後円墳と円墳はほぼ同数あります。

 見立(みたち)、奥白方一帯に古墳や遺跡が点在し、また海岸寺本坊と同じ標高の平野部にも盛り土された円墳があります。今後もまだまだ発見される可能性は非常にあります。

 経納山という名称の由来ですが、弘法大師が法華経の文字を一石に一字書写し、埋めた場所であるところから名付けられています。


本堂 (ほんどう)

 安政3(1856)年に再建されました。別格十八番のご本尊正観音をおまつりしています。堂内は、靴を脱いでゆっくりお参りできるよう整えてあります。護摩堂とも廊下でつながっていますので、ご参拝の節はどうぞお上がりください。

住職直々のご祈祷はこちらで行なわれます。

 明治の頃の記録によりますと、奥之院の本堂と本坊の本堂と、二つの本堂があったことが分かります。現在は、奥之院は「大師堂」、本坊は「本堂」と呼び習わしています。

境内は、県道とJR線によって分断されていますので、飛び地境内地となっています。

 本坊のあたりには、玉依御前の別館があったことが「縁起」の中に記されています。本邸は仏母院のところにありましたが、瀬戸内海をのぞめる絶景の場所に、別館を設けていたようです。

 お大師さまがご幼少のある時期、母公と離れて暮らし、本坊にあった別館で勉学に励んでおられました。そして、毎月14日に十四橋を渡って、母公にお会いになり、産土神である熊手八幡宮へお参りされたのです。


護摩堂 (ごまどう)

 金比羅山多聞院よりお迎えした、鎌倉時代の木造不動明王立像をおまつりしています。眼光鋭くリアルな表情が印象的で、一千年近く人々の苦悩や願いを見届けてきた智慧のあるお顔をしておられます。

 また、弘法大師ご親刻と伝えられる神変大菩薩と前鬼、後鬼の像も威厳があります。

護摩堂内には、栄厳大和尚の額字になる「護摩場」を掲げていますので、ぜひご覧ください。


奥之院大師堂 (おくのいんだいしどう)

 本堂を参って奥之院を参らぬのは、金剛峰寺を参って奥之院(弘法大師ご入定所)へ参らぬのと同じ、と先代は申しておりました。広大な境内のうちで最も聖域とされる奥之院です。

 ご本尊に弘法大師誕生佛を据え、両側に四天王、さらに両脇に佐伯直田公玉依御前の座像をおまつりしています。また、弘法大師の産盥石(うぶだらいいし)も見どころです。お参りしたおしるしに「お洗米」をお受けください。

 延宝5(1677)年発刊の『玉藻集』(香川叢書第三所収)には、「産盥石 弘法大師多度郡白潟屏風が浦に生れ給ふ。産湯まいらせし所、石を以てしるしとす云々」とあり、江戸初期には信仰の対象とされていたことがうかがえます。

 弘法大師ご誕生のとき産湯をためた産盥石、という有難い信仰上の遺物です。しかし実際は、保延5(1139)年の観應住職による海岸寺縁起には、「御降誕ちなみの霊場なるによって石をゑり(彫るの意)て産盥をかたどり」とありますように、信仰の対象として造形されたものであることが分かります。

 奥之院にはその他、「湯手掛け松」や「産湯の井戸」があります。それらも「松を植えて湯巾掛の松と号し、泉水を甃(いしだた)みして産井と称して、初誕のありさまを表しける」とありますように、平安末期には信仰深い誰かがモニュメント(記念建造物)としてこしらえたもののようです。


文殊堂 (もんじゅどう)

 讃岐十二支霊場のご本尊、文殊菩薩をおまつりしています。智慧の輪のモニュメントが堂前に据えられています。文殊堂の後ろへ回ると、ここから瀬戸内海の多島美を観賞できます。


おたらい山不動坊 (おたらいやまふどうぼう)

 ここは四国三十六不動霊場のご本尊をおまつりしています。普段は鍵がかかっていますが、毎月28日のお不動さんの縁日にご開帳があり、悪因縁絶ちの不動護摩が焚かれます。

不動坊のそばに通夜堂があります。歩き遍路の方がしばしば泊ってゆかれます。


二重塔 (にじゅうとう)

堂内には薬師如来がおまつりされています。壁面には、薬師十二神将が色彩豊かに描かれています。


屏風浦会館 (びょうぶがうらかいかん)

 売店事務所食堂があり、本堂や宿泊所ともつながっています。3Fは講堂のような広さで、主に団体宿泊に利用されています。




 

境内の絵

境内の絵
 
                明治28年 海岸寺発行

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